パワースポットの

重要拠点・東国三社

息栖神社(神栖市)・

鹿島神宮(鹿嶋市)・

香取神宮(千葉県香取市)

茨城県南部と千葉県にまたがる地域に「東国三社」と呼ばれる三つの神社があります。

鹿島神宮、香取神宮、息栖(いきす)神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、現在でも東国三社参り(三社を詣でる事)が行われています。

三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。

井戸が御神体!?「息栖神社」

東国三社のうち他の二社に比べてより静かで趣がある神社が息栖神社です。

鹿島と香取に祭られる二神が武神でありその神剣であるのに対して、息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」というひかえめな存在の神が祭られているせいかもしれません。

鹿島と香取の両神宮が、派手で大掛かりな作りなのに対して、息栖神社は「土地の守り神」として親しみがもてる雰囲気を感じます。

また井戸がご神体とされているという点からも、より身近に感じることができるでしょう。

壮大なスケール!

「鹿島神宮」と

「香取神宮」

2600年以上の歴史を誇る鹿島神宮。武甕槌神(タケミカズチ)が祭られています。神話の中では地上を治めるのに大変活躍しました。

荘厳な鳥居とくぐると大きな木々が並び、中にはなんとも神秘的な雰囲気が漂よっています。

広大な境内にはタケミガヅチがナマズの頭を抑えている「要石」などがあり、7不思議なんてお話もあります。

また武芸の神様「鹿島大明神」としても有名です

香取神宮は、千葉県香取市香取にある神社です。

式内社、下総国一宮で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社として有名です。祭神は経津主大神 (伊波比主命)。

鹿島神宮と同じく、2600年以上の歴を持つ香取神宮は、共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地として重要視されていました。

平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけとのことです。

神話・国譲り

地上を治めていたオオクニヌシは、それまで天界からの遣いの神たちを巧みにかわし、国譲りの話をうやむやにしてきたのだが、業を煮やしたアマテラスは、武神として名高いタケミカヅチを派遣する。

これには、オオクニヌシも従うのだが、次男のタテミナカタが反抗する。

しかし、タケミカヅチの力は強く、タテミナカタは諏訪までおいつめられ、そこで祭神となる。

東国三社の要である鹿島神宮は、その諏訪大社の真東にあって、いまだに諏訪大社を睨んでいる。

己の道を見つめ直す

『東国三社めぐり』

江戸時代に栄華を極めて

巡礼の聖地

「東国三社巡り」は、江戸時代に「お伊勢参りのみそぎの三社参り」と呼ばれるほど篤い信仰を集めた旅でした。東国三社は、今、自らの道を見据え、要となる決意を支えるための場所として、再び注目を集めています。2000年以上の歴史を持つ貴重な聖地です。
篤い信仰を集めた歴史ある神社です。
茨城と千葉の県境、水郷と呼ばれるこの一帯は利根川、常陸利根川、霞ケ浦、北浦などを中心とした水の豊かな情緒溢れる土地でもあります。
利根川の舟運は物資の輸送に役立っただけでなく、旅行者にも大いに利用されました。
この息栖河岸には東国三社参詣の人々や下利根川地方遊覧の人々が各地からおしよせ、大変なにぎわいをみせたのです。これらの人々を乗せて利根川を上下したのが「木下茶船」(きおろしちゃぶね)と呼ばれた乗合船・遊覧船でした。
木下河岸から船出する船は、江戸中期には一日平均12艘、年間1万7千人余りが利用したということです。
男甕・女甕の忍潮井も神社とともに有名になり、伊勢の明星井、山城の直井とあわせて日本三所の霊水と言われ、人々の評判となりました。

日本三霊水「忍潮井」

利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に、小さな鳥居が立てられています。その鳥居の下からは、泉が湧きだしています。

この井戸は、汽水の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられています。

左右の泉は、それぞれに女瓶、男瓶と呼ばれる瓶が据えられていて、その中から湧き出しています。

男瓶は銚子の形をしていて、女瓶は土器の形をしてます。その瓶は、水の澄んだ日にしか姿を現さず、その姿が見られると幸運が舞い込んでくるといわれています。

体と精神を鍛える「力石」

芭蕉句碑の隣には、祭礼の際に若者たちが力比べをしたと伝えられる「力石」があります。

神聖な場所で行われた力比べは、神様と一体となるという意味もあったのかもしれませんね。

境内に力石と並ぶ

芭蕉句碑

「この里は 気吹戸主(きぶきとぬし)の 風寒し」

俳聖といわれた松尾芭蕉が、水郷地方を訪れたのは貞享4(1687)年8月14日。親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで鹿島の月を眺めるためでした。

この旅で根本寺・鹿島神宮・潮来長勝寺と水郷地方を訪ねまわった彼は、息栖地方にも足をのばしたようです。

東国三社を結ぶ

謎のトライアングル

この東国三社を地図上で結んでみると形のよい直角二等辺三角形が浮かび上がってきます。

鹿島神宮と香取神宮を結ぶ線は約12,000m、 鹿島神宮と息栖神社の間は約9,000m、息栖と香取は約8,600mとのデータがあります。

そしてこのトライアングル内では様々な不思議な出来事が起こるといううわさも…。

更にこのトライアングルを中心に周辺の神社を結ぶと、とても意味のありそうなラインがいくつも浮かび上がってくるといいます。

古代遺跡に多く見られる

「レイラインの謎」

レイライン(ley line)とは、古代の遺跡などで直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をのことを言います。
レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがあります。

東国三社をレイラインという観点から鹿島神宮を見なおしはじめたのは、この数年のことだといいますが、そのような視点で見てみると、一見地味な日本の神社も海外の有名な遺跡に決してひけをとらないものなのだと感じます。

そして人がなぜ神社に魅かれるのかがわかるような気がします。
土地の持つ力が溢れ、大きな木々に囲まれた境内はとても広く、この神社を取り巻く静かで神秘的な雰囲気が、訪れた人々をやさしく包み込むような包容力の深さを感じさせるのです。

八百万の神様に感謝のこころで

科学の発展によって、自然や災害などへの「おそれ」が姿を消し、世の中から神様や先祖を敬う心が薄れていく中で、神聖な場所である神社にはきっとあなたの心に響くものがあるはずです。

あなたもぜひ神栖のパワースポットで、土地の持つ不思議な力を感じてみてはいかがでしょうか。

息栖神社の年間行事

1月1日
7日
元旦祭
白馬祭
2月3日節分祭
3月6日祈年祭
4月13日例祭
5月3日摂末社祭
6月30日大祓
7月
8月27日風祭
9月
10月
11月13日秋祭
12月3日
31日
献穀祭
大祓